当サイトは、ギリシャ9日間の旅の記録を写真をメインにして綴った旅行記です。
ギリシャに興味のある方、ギリシャに行こうと思っている方は参考にしてみてください。
写真を見て「ギリシャに行ってみたくなった!」と思っていただければ幸いですo(^^)o
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それでは、4日目のメインでもあるオリンピア遺跡を見ていきましょう。オリンピア遺跡は、紀元前2000年頃からゼウスを祭る神域として、紀元前8世紀からはオリンピックの開催地として発展しました。その後、異教徒禁止令によって393年のオリンピック廃止以降は衰退、その後の大地震により地中に没してしまったのです。オリンピア遺跡が考古学者の発掘作業によって地上に現れるようになったのは19世紀末のことでした。

遺跡内に入ると、オリンピア遺跡の案内板があります。オリンピア遺跡に入ってすぐ左手側はプリュタネイオン(迎賓館)です。右写真は、なんの遺跡だかわからないぐらいになにもありませんが、地図上で確認する限りは、プリュタネイオンかなとか思います。ただし、確証はありません(笑)。

プリュタネイオンの向かい側は、パラエストラ(闘技場)です。パラエストラは、柱廊に囲まれた中庭がある正方形の建物で、レスリングやボクシングなどの練習に使用されていました。

これもパラエストラです。敷き詰められた落ち葉がきれいです。

フィリッペイオンです。フィリッポス2世が紀元前338年のカイロネイアの戦いの戦勝記念に献呈した建物です。柱の様式は、イオニア式。

反対側から見たフィリッペイオンです。

こ、これはなにを撮ったんだろう(笑)。あくまで推測ですが、遠くの方に「フィディアスの仕事場」が見えるので、これはヘーロオンかテオコレオン(神官の家)の辺りですね。

そしてこれが、フィディアスの仕事場の内部。パシリカ様式のビザンチン教会の跡です。彫刻の道具や銘入りのコップなどが発掘されており、紀元前5世紀のギリシャ有数の彫刻家フィディアスの仕事場であったとされています。

フィディアスの仕事場の外壁です。

ゼウス神殿跡です。紀元前470~456年にかけて建てられた長さ64m、幅28m、高さ28mもの強大なドリス式の神殿です。見るも無残に破壊されています。1本だけ立っている柱は後に復元されたものです。

もう少し先に歩くと見えてくるのが、レオニデオン。紀元前330年の建造で、オリンピアの最大規模を誇ります。招待客の宿舎として使用されていました。えっと写真ですが、レオニデオンである保証はありません(笑)。ただ、大きさといい、地図上の位置といい、8割方この辺りがレオニデオンのはずです(^^;)。

さらに前へと進みます。写真奥の方に人がたくさんいます。あの辺りが僕が利用しているツアーの隊列でしょう(笑)。大分、遅れをとっちゃっています(^^;)。

見ておわかりの通り、オリンピア遺跡全体はかなり広いです。ここらは神々の聖なる杜、アルティスの周辺です。

プーレテリオンの東側には、ローマの暴君ネロ帝が建てたアーチ型の凱旋門があります。

凱旋門をくぐると…古代オリンピック競技場があります!皆さん、自分のお年も考えずに一生懸命に走っておられました(笑)。

左写真は、近代オリンピックの採火場です。添乗員さんに「ここはテレビに写るところだから撮っておいたほうがいいですよ」と言われて撮っておきました♪右写真、3本の柱が立っている辺りがヘラ神殿です。そのヘラ神殿をバックに記念撮影~。ヘラ神殿は、ギリシャの中でも最も古いドリス式神殿のひとつです。オリンピア博物館で見た「赤子のディオニソスをあやすヘルメスの像」はここで発見されました。

反対側からみたヘラ神殿です。

ヘラ神殿を過ぎると、最初にきた入り口に戻ります。オリンピア遺跡は、建物としての原型を留めていないものが多く、自分が一体何を撮影したのかわからない写真がたくさんありました。この他にもたくさん撮ったのですが、何の写真だかわからないのでは紹介しようもないので省きました(笑)。

この後、オリンピア遺跡を出てパトラのワイン工場へ出発します。パトラのワイン工場では、ワインの試飲もできます♪すぐにバスに乗り込んで、パトラへと向かいましょう!あ、その前にパトラのワイナリーに行くまでのバスの車窓をご案内します。それでは、もう二度とこないかもしれないオリンピア遺跡に、さようなら…。

 

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